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| CANTON S'36年に誕生した本格国産ジーンズ |
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初期の国産ジーンズは、ジーンズ作りのノウハウも無くジーンズに程遠いものだったらしい。そんな中1963年にデビューした「CANTON」は元、大石貿易という貿易会社をしており、それまでにLEVI’SやLee、ブルーベルの商品輸入を行なっており1963年繊維物の輸入自由化(ジーンズで最も重要なデニム地を本場アメリカから輸入出来るようになった)のさいにアメリカのキャントン・テキスタイル・ミルズ社と契約して686デニムを輸入「CANTON」ブランドを立ち上げ生地686デニム、ファスナータロン、リベットスコービルを取り寄せ「CANTON」ブランドジーンズが完成した。
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| ここから年代別に追って行きたいと思います。 |
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1962年(昭和37年) 晴海の米国工業用品見本市会場で、リーバイスを縫うユニオン・スペシャルミシンと、キャントンジーンズの製作に多大な貢献をもたらす事になる高坂芳美と出会う。
1963年(昭和38年) 初の国産化ジ−ンズを目論む大石は、リーバイスと同じコーンミルズのデニムを仕入れに米国に発つが結果はキャントン・ミルズと契約 ←写真1963年(昭和38年)の初期 同’63年10月 渡辺長三・千代子夫婦によってキャントンの試作品が完成する。しかし、発売当初は売れず、洗い加工を講じて爆発的に売れ出す。 |

| CANTON 加速… |
1966年(昭和41年) 全国ブランドとなったキャントン 年産10万本を越えるようになり長野県に「長野デニム工場」を設立。
1967年(昭和42年) 渡辺長三・千代子夫婦が経営する 伊勢崎市の「渡辺縫製」工場が、「東京デニム株式会社」として会社組織になる。
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| CANTON からビックストーンへ |
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1968年(昭和43年) キャントン・ミルズの契約窓口であるターナー・ジョーンズから、キャントンのブランド使用料を払えとの要求が。大石はキャントン・ミルズ社との契約を破棄。そして、大石の手がけるジーンズの名が、キャントンからビッグストーンに変わる。生地も、リーバイスと同じコーンミルズ社の物が使われる。
1970年(昭和45年) 渡辺夫婦の東京デニム株式会社が宮城県に場所を変え、社名も「東北ビックストーン」に変更。ビックストーンの生産でフル稼働が続く。
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| そして、失速へ… |
1972年(昭和47年) ジーンズ月産200万本という国内販売の中で、ビックストーンが、約2割を占めるまでに成長する。
1975年(昭和50年) ビックストーンの売り上げが激減。東北ビックストーンの人員整理が強行に行なわれ、新聞を賑わす労働争論にまで発展。渡辺と大石は絶縁状態に。
1989年(平成元年) 大石哲夫、死去。享年68。日本で始めて本格的な国産ジーンズを作った。 |
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| 国産ジーンズCANTON |
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日本の国産ジーンズの先駆けを行っていた。「CANTON」年表を見返したら、ほんとうに波乱ですね。もう会社は無くなっていて残念ですが、数の限りあるCANTON製品を手に入れた方は、是非大切にしてあげてください。あと今回、写真に載ってるCANTON製品の数点は売るつもりですので、気になった方はお気軽にご連絡ください。 |

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